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会社概要 |
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| 社名 | 株式会社 弘文社 | |
| 事業内容 | 出版物の発行および販売 | |
| 代表者 | 岡崎達 | |
| 所在地 | 〒546-0012 大阪市東住吉区中野2丁目1-27 | |
| 連絡先 | TEL 06-6797-7441 / FAX 06-6702-4732 | |
| 社風 | 自由闊達 | |
| 社是 | 創意無限 | |
| 創業者 | 湯川松次郎 | |
| 1904(明治37)年 | 湯川松次郎、19歳の時、大阪市東区平野町において書籍小売店を開業。 | |
| 1909(明治42)年 | 大阪市南区松屋町において明文館の称号で出版業を興す。 | |
| 1926(昭和元)年 | 大阪市東区備後町1丁目に移転。「美久仁文庫」を刊行。この頃の「美久仁文庫」は「立川文庫」と講談小説の中間をねらったもので、大きな人気を得ていた。 | |
| 1930(昭和5)年 | 大阪市南区順慶町1丁目に社屋を新築する。湯川弘文社の新社名によって、一般出版物、小学校参考書を手はじめに、中学校受験参考書から、各科目の中学校教科書へと拡大。なかでも、昭和7年刊行の、佐々木信綱、武田祐吉「国語読本」(中等教科書)は、第1位の採用数を得る。 | |
| 1941(昭和16)年 | 大東亜戦争により、教科書は国定となり、大打撃を受ける。戦災のため、住吉大社裏に移転する。社名を「弘文社」に改称。終戦直後には、日本で初の「入社試験問題集」「学習図鑑」「社会科事典」などを刊行する。特に「社会科事典」は「社会科」という言葉が全くないものであった時代のため、爆発的にヒットする。 | |
| 1949(昭和24)年 | 大阪市阿倍野区相生通に移転。戦中・戦後にかけては、藤沢恒夫、太宰治、吉井勇などの文芸書も多数出版する。文芸雑誌の「東西」、少年雑誌「新少年」には、年少時の手塚治虫氏が連載マンガを載せている。 | |
| 1971(昭和46)年 | 湯川松次郎死去。代表者に岡崎達が就任。 | |
| 1977(昭和52)年 | 大阪市東住吉区中野2丁目に、現社屋(5F)を新築、移転する。 | |
| 主な出版物 | 国家・資格シリーズ (危険物取扱者、消防設備士、土木施工管理技士、電験二・三種、ボイラー技士、環境計量士、ビル管理技術者など、国家資格対策書シリーズ) | |
| 主な担当者 | 岡崎靖(常務取締役・編集部長・仕入れ兼任) | |
| 山辺啓三(販売部長) | ||
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