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| 社歴 |
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| 1904(明治37)年 |
湯川松次郎、19歳の時、大阪市東区平野町において書籍小売店を開業。 |
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| 1909(明治42)年 |
南区松屋町において明文館の称号で出版業を起こす。 |
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| 1926(昭和元)年 |
東区備後町1丁目に移転。「美久仁文庫」を刊行。この頃の「美久仁文庫」は「立川文庫」と講談小説の中間をねらったもので、大きな人気を得ていた。 |
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| 1930(昭和5)年 |
東区順慶町1丁目に社屋を新築する。湯川弘文社の新社名によって、一般出版物、小学校参考書を手はじめに、中学校受験参考書から、各科目の中学校教科書へと拡大。なかでも、昭和7年刊行の、佐々木信綱、武田祐吉 両博士の「国語読本」(中等教科書)は、第1位の採用数を得る。 |
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| 1941(昭和16)年 |
大東亜戦争により、教科書は国定となり、大打撃を受ける。戦災のため、住吉大社裏に移転する。社名を「弘文社」に改称。終戦直後には、日本で初の「入社試験問題集」「学習図鑑」「社会科事典」などを刊行する。特に「社会科事典」は「社会科」という言葉が全くないものであった時代のため、爆発的にヒットする。 |
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| 1949(昭和24)年 |
阿倍野区相生通に移転。戦中・戦後にかけては、、藤沢恒夫、太宰治、吉井勇などの文芸書も多数出版する。文芸雑誌の「東西」、少年雑誌「新少年」には、年少時の手塚治虫氏が連載マンガを載せている。 |
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| 1971(昭和46)年 |
湯川松次郎死去。代表者に岡崎達が就任。 |
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| 1977(昭和52)年 |
東住吉区中野2丁目に、現社屋(5F)を新築、移転する。 |
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| 主な出版物 |
「国家試験・資格試験」シリーズ…300点目標に続刊中。 |
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「公務員・就職関係」シリーズ |
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「日常の法律相談」シリーズ |
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「公害防止管理者・環境計量士」シリーズ |
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「危険物取扱者」シリーズ |
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「測量士補・土木施工」シリーズ ほか多数 |
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(社歴参考文献:尾崎秀樹・宗武朝子「日本の書店百年」育英舎) |
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| 主要な担当者 |
常務取締役・編集部長・仕入れ兼任:岡崎 靖 |
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取締役・営業部長:足立久寿 |
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販売部長:山辺啓三 |